平成24年7月 救命講習
「救命講習参加の感想」
7月1日(日)午前9時~12時まで中野消防署において救命講習会が開催されました。
本会から13名の会員が参加しました。中野区消防署の方々の指導の下「救命処置」の3つの処置である ①心肺蘇生、②AEDによる除細動、③気道異物除去の体験をしました。練習用の人形5体を相手に、一人ずつ体験させていただきました。
20年ほど前に子どもの幼稚園での救命講習に参加した経験はありましたが、体験講習は初めてのことで、人形相手でも胸骨圧迫などかなりの力が必要で、悪戦苦闘しました。また、人形は、適切な深さまで圧迫すると音がしますが、人の体では当然音はしませんので力の入れ具合が難しいと感じました。
AEDも初めて操作しましたが、スイッチを入れると音声で指示してくれるので、そのとおりにすればよい、ということが分かりました。ただこれも実際の場面では、傷病者の服を切り裂いて体を露出させないといけないケースもあると聞き、家族や知人の場合はともかく、街中で遭遇した場合は、自分にはなかなか難しいのではないかと不安も感じました。
参加して思ったことを列挙しますと。
・一度でも(講習等で)体験しておく事。
・その場に居合わせたら躊躇せず動く事。
・複数で協力する事。
人命に係わることですから医療に携わる者として今日の体験をしっかり身につけたいと思いました。
(H.T)
平成24年度第2回 中野区薬剤師会学術講演会
平成24年6月13日:中野サンプラザ
「平成24年度第2回中野区薬剤師会学術講演会の報告」
『疥癬 診断と治療』
哲学堂くすのき皮膚科 院長 楠 俊雄 先生
疥癬虫(ヒゼンダニ)について
ヒゼンダニの大きさは0.4mm程で手の指紋の厚さと同じ。感染すると角質層2~4mmの疥癬トンネルを作り、卵やフンをするため非常に痒みが出る。
潜伏期間が4~6週間と長いためピンポン感染する。
ヒトの皮膚から離れると2~3時間で死ぬ。また50℃10分の過熱で死滅するためシーツ等は熱湯消毒する。
好発部位 |
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手、手首 |
肘 |
足、足首 |
外陰部 |
84.8% |
40.5% |
37.0% |
36.0% |
治療法
疥癬虫発見のコツは感染トンネルを探す事と好発部位を知る事。発見した場合注射針などで取り除く。
感染力が強いため老人ホームなどで発生した場合、利用者、スタッフ全員の検査が必要になる。
治療薬
イオウ剤 |
… |
イオウ末を10%の軟膏またはローションとして塗布する。 |
クロタミトン |
… |
患部のみならず全身に塗布する。接触アレルギーに注意。 |
安息香酸ベンジル |
… |
成人は25%、小児は10%のローションとする。 |
γ-BHC |
… |
0.5~1%のワセリン軟膏とする。製造中止。 |
イベルメクチン |
… |
通常1回投与。重症例にはヒゼンダニのサイクルに合わせ2週間後に再投与。 |
予防法
クロタミトンクリームを1週間1日1回全身に塗る。全身に塗ると1回で15~20g必要になる。
高齢者の疥癬の問題点
・オムツをしていたり、寝たきりだったりして皮疹の診察が困難。
・皮疹が典型像を示さないなどの理由で発見が困難。
・寝たきりや認知症など自分で治療はできない。
・家族や施設職員では塗り残しがある。
『在宅医療(褥瘡を中心に)』
種田医院 院長 種田 明雄 先生
高齢者の皮膚の特徴
脂腺、汗腺の機能低下や皮膚の乾燥、バリア機能が落ちる。
在宅療養者、施設入所者の70%が皮膚疾患を持っている。
外用剤は基剤によって効果が全然違う。
褥瘡について
体重がよりかかる所が好発部位になる。
好発部位 |
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仙骨部 |
肘頭部 |
踵骨部 |
後頭部 |
44% |
33% |
16% |
7% |
褥瘡発生の要因
局所的要因
①加齢による皮膚の変化 ②摩擦・ずれ ③失禁・湿潤 ④局所の皮膚疾患
全身的要因
①低栄養 ②やせ ③加齢、基礎疾患など ④薬剤投与
褥瘡の色調による分類 黒色期・黄色期・赤色期・白色期
その他の老人性皮膚疾患について
①閉塞性動脈硬化症・・・内科医との連携が必要
②糖尿病・・・内科医との連携が必要
③水虫、皮膚カンジダ、爪白癬・・・イトリゾールのパルス療法(3か月)、
ラミシール(6か月)、抗真菌剤外用
④皮脂欠乏性湿疹・・・保湿剤外用、抗アレルギー剤内服、スキンケア
⑤良性腫瘍、悪性腫瘍
平成24年4月 社団法人30周年記念誌発行特別講演会 「記録することの大切さ」
中野区薬剤師会30周年記念を発行したところですが、先達の方々の業績をたどることは簡単なことではありませんでした。各々の記録と資料を参考にしたことは云うまでもありません。ここに法政大学サスティナビリティ研究教育機構准教授の金慶南先生をお迎えして「記録の大切さ」と題してご講演頂きました。文字通り記録の大切さを具体例を示してのお話です。
歴史というのは未来へ残してこそ歴史となるのであって、人間はせいぜい百年ほどしか生きられないが記録資料は千年も二千年も生きることができる。公害問題は高度経済成長期の産物ですが、薬害サリドマイド・薬害スモン(キノホルム)・公害水俣病(水銀汚染)これらの事件は風化させること無く、記録として残し後世に伝えていかなければなりません。薬害・公害問題は経済優先による弊害であること。このような事件を零にするために過去の歴史を知って頂き、決して風化させてはならないのです。(カネミ油症事件・イタイイタイ病等)
アーカイブスについて
古文書のことですが、環境アーカイブスとしては薬害記録について目的をもって記録することです。視聴覚で残す・刊行物で残す・新聞等で残す→媒体として記録して保存すること。ここでは全体を環境アーカイブスと言います。
お薬手帳は記録の大切さ(命の大切さ、身体を守るため)の記録手帳です。薬剤師として患者の命を守るということで役割はとても大きいのです。
住民台帳、土地台帳をなぜ作成するのでしょうか?個人の権利を保護するためでしょうか?いいえ、税金を確保するためです。国が管理する=税金なのです。
チェルノブイリの原発事故、福島の原発事故、人々が平穏に暮らしていた生活が一瞬にして消えてしまう…その現実を見逃すことなく記録して歴史として残すことが大切なのです。
インタビューも記録して保管することができます。金先生は過去に三代に亘る歴代大統領にインタビューしたことがありますが、お互いに非難の応酬になってしまい後日インタビュー記録を振り返ると誰が嘘をついているのかがわかったそうです。
国立公文書館
千代田区北の丸の国立近代美術館のそばにあり、文書館とも呼ばれ歴史的な資料としての公文書(条約・宣言・外交文書・政府関係者の報告や伝達メモ等)を保管し、公開する機関施設です。刊行された図書を収集する図書館、非文書資料を収集する博物館とは区別されています。
韓国にも民文化と国家記録管理としての公文書館が存在します。例として朝鮮時代の記録管理の歴史・日帝時期・米軍政期等記録として残し保管しています。
これらの残すということは【登録】【評価】【保存】の三つが基本システムとなっています。お薬手帳も三つのシステムが稼動して、いざという際に活用します。薬害のサリドマイド・スモン・カネミ油症等の事件は公開する体制になっています。薬害記録を構築するためには、他のものを見て参考にすることが必要です。記録を活用(振り返って)、日韓の戦後補償・賠償問題は会談で全部解決済みということになりました。
戦後の賠償責任も終戦と同時に敗戦国に記録に基づいて責任を負うことになるという事実があります。戦後記録も、日清戦争・日露戦争等も単に争ったということだけではなく、記録があると具体的な様子がわかります。
まとめ
何気ないことでも記録として残しておく、日記形式でも良いし新聞の切り抜きでも良いと思います。後になって素晴らしい記録(記憶)として活用されることもあるかも知れません。
伝統工芸や伝統芸能、職人の技、昔から伝わる様々な技術、源氏物語の画帖図(世界各国に散逸していたのがまとめられ一冊の本として出版されたこと)、これら本文から外れるかもしれませんが、共通項もあると思います。
登録・評価・保存される人々の熱意と努力に大いに拍手を贈りたいと思います。
金慶南先生、実例を交えての大変有意義なお話ありがとうございました。
(記載者: 小山功男 副会長)
平成24年2月 学術講習会「わが国で発生した薬害事件の経緯と医薬品情報学のすすめ」
平成24年2月8日中野サンプラザにて、学術特別講演会として千葉大学名誉教授山崎幹夫先生に「わが国で発生した薬害事件の経緯と医薬品情報学のすすめ」というテーマで講演していただきました。その一部を紹介します。
1.わが国における薬学のはじまり 日本の薬の歴史
奈良・平安期 552年 仏教伝来 体系的中国(漢方)医学の導入(536年ともいう)
701年 大宝律令 律令下「薬師(くすし)」は官職として医療を担当
鎌倉期 1192年~ 医師は武家、大名に抱えられ、在野開業医師も出現
室町期 1338年~ 寺院製剤(配合薬)の商品化と販売―売薬
江戸期 1603年~ 藩許製剤(「富山の反魂丹」等)、家伝、秘伝薬などの製造と販売。
オランダ医学(蘭学)の導入
明治期 1868年~ ドイツ医学の導入 漢方医学を否認 「売薬取締規則」政府による許可制始まる
官許売薬第1号は東京池之端守田治兵衛の「宝丹」「薬律」制定
近代医薬品(医療用医薬品)の輸入と国内生産開始
近代~現代 「薬律」から「薬事法」制定へ 売薬は近代薬学の導入にともない家庭薬、
大衆薬、一般薬、市販薬、OTC薬、一般用医薬品という名の変遷
を経て現代薬への道を歩んだ
2.“薬害事件”の発生
①サリドマイド
1957年にグリュネンタール社(ドイツ)から睡眠薬コンテルガンとして発売。
もともとはてんかん患者の抗てんかん薬として開発されたが効果は認められず、その代わりにその催眠性が認められた為、睡眠薬として発売された。
しかし、1961年頃から副作用として四肢の発育不全を引き起こし手足が極端に未発達な状態で出産、発育するといったことが報告され、大きな問題となった。
当初、副作用も少なく安全な薬と宣伝されたことから妊婦のつわりや不眠の改善に多用され、後の被害拡大につながった。
日本では1958年大日本製薬が「イソミン」の商品名で販売開始。翌年には胃腸薬「プロバンM」にサリドマイドを配合し販売。妊婦のつわり防止に使われた。
1962年5月に製品の出荷を停止したが、その後4ヶ月程回収はしなかった為、しばらく市中に出回り被害は増加した。全世界での被害者はおよそ5800人と言われている。しかしサリドマイドは催眠作用以外にも様々な薬理作用を持つことがわかって見直しの声が高まり、現在はアメリカ等でハンセン病治療薬として、また多発性骨髄腫治療薬などとしても販売が再開されている。日本でも2008年10月厚生労働省は、多発性骨髄腫の治療薬としてサリドマイドの製造販売を承認した。
②ソリブジン
1979年ヤマサ醤油により合成され、1993年9月3日日本商事により販売された抗ウイルス薬。商品名ユースビル。9月19日に死亡第一例、市販直後1ヶ月に死亡14例発生。11月19日出荷停止、回収を発表。FU系薬剤との併用により、FU系薬剤の代謝が阻害され、血中濃度が上がり血液障害が引き起こされた。これは構造式からも予測可能であり、防げる薬害事件であった(実験動物でのデータは1986年に得られていた)。
③チクロピジン
1981年第一製薬より発売。商品名パナルジンなど。この薬剤は、血栓性血小板減少性紫斑病(TTP)、無顆粒球症、および重篤な肝障害という重大な副作用が発現することが知られている。これらの重い副作用はその約9割が投与開始後2月以内に発現しており、本医薬品投与開始2ヶ月間、2週に1回の定期的検査(血液、肝機能)を行うことで、これら副作用の早期発見、重篤化の防止が可能である。しかし、使用開始後2ケ月間は2週間に1度は血液検査を行うべきであるとされていたが、この警告を忠実に守った医師は1/4に過ぎなかった。また、日本での重篤な副作用の発生率は欧米に比べ非常に高く、日本人に多い特有のHLAと相関を示すことがわかった。(HLA:ヒト白血球型抗原)
3.医薬品の安全対策
医薬品の適正使用
(1)的確な診断に基づき患者の状態にかなった最適の薬剤、剤形、適切な方法・用量の決定
(2)調剤 (3)患者への薬剤についての説明と十分な理解(4)正確な使用 (5)効果や副作用の評価 (6)処方へのフィードバック市販後調査制度(2001年10月1日より制度として実施)
新医薬品の販売開始直後の副作用等の被害を最小に止めることを目的とし、製造業者は新医薬品の販売後6ケ月間、全医療機関に対し確実な情報の提供、注意喚起等を行い適正使用に関する理解を促すとともに重篤な副作用、感染症の情報を迅速に収集し必要な安全対策を実施する。
4.医療の安全を目指す新しい薬学教育のはじまり
これまでの物質だけを対象とした薬学からヒトを対象とする薬物治療に直結する薬学へ。
「医薬品情報学の教育は、医薬品の適正使用に必要な医薬品情報を理解し正しく取り扱うことができるようになる為に、医薬品情報の収集、評価、加工、提供、管理に関する基本的知識、技能、態度を学習する」医薬品情報は ①良い薬を作る(創薬:製薬企業)②正しく使う(適正使用:医療現場)③上手に育てる(育薬:行政・医療・製薬現場)の全てにそれぞれの立場から関与する。
中野区薬剤師会の歴史 30周年記念誌発刊
私ども、社団法人中野区薬剤師会は、平成22(2010)年6月に、社団法人化30周年を迎えました。初代橋口昭二会長が、昭和54(1979)年の東京都薬剤師会支部長会で、都薬では5番目の社団法人化を英断されました。そして、わずか1年という速さで体制を整え社団法人化され、同時に中野区医薬品管理センターを開設されました。
設立当初の中野区薬剤師会の事務所は、中野区医薬品管理センターを兼ねて東中野2丁目に、会員の先生の2階建て物件をお借りしました。1階駐車場を改装して管理センターに、2階の一室を事務所として開設することが出来ました。その後、事務所と管理センターは、昭和57(1982)年に中野2丁目の中野リハイムに移転。平成15(2003)年には現在の中野1丁目の会館を取得し移転しました。念願であった会館の取得は、それまでとは明らかに違った発展を遂げることになりました。場所や時間等に制約されることなく研修会等が開催できるようになり、会員薬剤師の研鑽と交流の場が確保されました。
会長は、橋口元会長から故吉岡元会長、花房元会長、保坂前会長と引き継がれました。故吉岡元会長は、橋口元会長勇退後の執行体制を整えられ、会営江古田薬局を開設されました。花房元会長は現在の会館の取得に、保坂前会長は薬局DOTSや三師会への取り組みにそれぞれご尽力頂きました。
この間、薬剤師の立場や薬局を取り巻く環境は大きく変化しました。薬局は医療提供施設と位置付けられ、医薬分業は医療法の改正等もありましたが、医師会、歯科医師会の先生方のご理解により目を見張る勢いで進展しました。現在のオンラインによるレセプトの提出を見るとき、まさに隔世の感があります。
法人創設以来、無事30周年を迎えられましたことは、東京都薬剤師会はじめ、医師会、歯科医師会の先生方、そして、先輩諸兄姉並びに会員の皆様のご支援とご指導による賜物であります。これからも、地域医療の一翼を担い、区民の医療と保健福祉に会員一同尽力する所存であります。
ここに皆様のご支援に改めて感謝の意を表し、30周年記念誌発刊させていただきました。
平成23年度中野区災害医療救護訓練に参加しました
平成23年度中野区災害医療救護訓練に参加しました。
11月20日(日)、年に一度開催される「中野区災害医療救護訓練」が、区立第十中学校体育館で開催されました。本会からは会長始め7名の会員が出席しました。今年は東部地域の14町会の防災会、中野区赤十字奉仕団東部分団、中野区福祉団体連合会、中野消防署、中野消防団、中野警察署、中野区医療四師会、中野区防災分野の、総勢300人余の区民が4時間にわたり「救助・応急救護訓練」「医療救護訓練」を体験しました。
朝8時30分、中野区から医療四師会に「参集メール」が届き、それに基づいて第十中学校の体育館に9時に集合しました。医療班は、医師は赤色、歯科医師は 黄色、薬剤師は青色、接骨師は黄緑色のベストを着用しての参加です。前半は「救助・応急救護訓練」として、町会の方々が自動販売機の模型等の下敷きになっ たダミー人形を救助する訓練や、三角巾を使って負傷者の応急手当訓練、家具の転倒防止器具の取り付け訓練などを体験しました。
後半は「医療救護訓練」、いよいよ医療四師会の出番です。始めに田村会長からお薬手帳について参加者へ説明があり、その後薬剤師会として手帳の啓発活動を行いました。今年は東日本大震災があり、お薬手帳の重要性について医師会の先生方からもお話があったおかげで非常に高い関心を持たれ、配布用に用意した100冊はあっという間に無くなりました。しかしまだまだ手帳の存在さえ知らない人が数多くいるなという印象です。
また、それと並行して医師によるトリアージが行われました。町会の方々が「けが人」に扮して、「医療救護ブース」に運ばれてきます。重症(赤色)、中等症(黄色)、軽症(緑色)の判定後、第十中学校に配置されている「災害用医療資材」を使って処置の訓練をしました。「災害用医療資材」は区内15の地域センター管内の「拠点医療救護所」(区立小中学校等)に配置されています。セットの中の薬剤は初動体制で使用するものが中心なので調剤薬局で日頃扱っている内服薬等ではなく、注射薬、輸液が中心となっています。
薬剤師会では中野区と「災害時における応急措置用薬品等の優先供給に関する協定書」と「災害時の医療救護活動についての協定書」を締結しています。今後は本会独自の「災害時対応マニュアル」の作成を予定しています。大震災以後、またいつ大きな災害が起きるかわからない状況が続いています。お薬手帳の普及もそうですが、小さなことからできる防災活動もあります。「備えあれば憂いなし」。地域では自主訓練も行われています。近隣で訓練が行われたら是非参加してみてはいかがでしょう。